痔瘻手術を受けた肛門科医(1)肛門科医が自分自身の痔瘻手術を決心したときのこと
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(2019年8月10日加筆修正)
医者たる者、自分自身も患者になってみるべきだ、と思っている院長の佐々木巌です。
当院は痔専門の医療機関です。
痔は手術して治すものというイメージを持っている方が多いかも知れません。
しかし、当院は手術を避ける技術を大切にしている肛門科専門の医療機関です。
そんな一風変わった、主流とは言えない診療方針を持つ当院ですが、そんな当院の院長は、実は手術を受けていた!というお話です(笑)。
私は数年前に痔瘻になって家内(=みのり先生)に手術してもらいました。
痔瘻って治そうとすると、手術なんですよね。
基本、他に方法はないのです。
「人には勧めないクセに、自分は受けたの?」と言う声が聞こえてきそうですね。
はい、絶対に無理強いはしませんよ。
ムリに勧めないけれど、私はその方がラクだと考えて手術を決めたのです(笑)。
そのときの経験を書いてみます。
※ ちなみに私は、1カ所の単純痔瘻のみ、いぼ痔(痔核)や切れ痔(裂肛)の合併はなく、術式は切開開放術でした。
自分の診断は難しい
当時感じたのは、自分の診断って難しい・・・ってこと。
実のところ、自分では痔瘻だとは全く思ってませんでした。
別の病気だと思っていた私は、極めて軽い気持ちで、家内に診察を頼んだのです。
「なあ、ちょっと見てくれへんか?粉瘤ができたみたいやねん。」
粉瘤とは皮膚の良性腫瘍です。
丸っこいグリグリができるんですね。
てっきりそれだと思って相談したのです。
診察・検査の結果・・
「あんたこれ、痔瘻やで!どーすんの?」
と怒りの診断。
あるんですね~。
「自分だけは、ならないだろう」的な、根拠のない希望的観測。
甘かったです。(反省)
皆さんも、気をつけましょう。
ひとつ言い訳をさせて頂きますと、私が自分で診断できなかった理由のひとつは、典型的な発症パターンではなかった、ということす。
典型的な痔瘻は、一番はじめは肛門周囲膿瘍という強い痛みで発症し、あまりの痛みに耐えられず病院に駆け込んで、その病院で切開を受けて膿を出してもらい、それから1〜2週間の時間が経ってやっと痔瘻と診断されます。
ところが、私の場合は、そんなに厳しい痛みではありませんでしたから、まあ典型的ではありませんでした。
もちろん、自分自身が患者でなければ、キッチリ見切って痔瘻だと診断したと思いますが。
・・・言い訳は以上です(笑)
医療の世界では、「身内の治療ではトラブルがおこりがち」とよく言われるのですが、身にしみて理解できました。
自分って、究極の身内ですもんね。
医者だからって、いつも冷静なわけでも、明晰なわけでもありません。
痔瘻にもなれば、手術も怖い、極めて普通の人間です。
普段の治療で冷静さを保てるのは、ある意味他人事だからなのかも知れません。
おのれの弱さを思い知らされた出来事でした。
痔瘻の治療、普通は手術です
一般的に「痔瘻=手術」のイメージが固定しています。
私も基本的に賛成です。
というか、痔瘻を治すための方法は手術しかありません。
唯一の治療法は、手術です。
他の痔でも手術でないと「治せない」痔はありますが、痔瘻は特に手術のイメージが強いです。
その理由は、長期間放置された痔瘻の中に少数ガン化するものがあるためです。
ですから肛門科では「痔瘻は手術しなければいけない」という説明が一般的です。
でもこれは少し不正確。
正確には「痔瘻を長期間放置すると、ガン化することがあり心配。だから手術した方が、患者も医者も安心。」となります。
一方、当院の治療方針は、できるだけ患者さんに選んでもらう、というものです。
私が痔瘻になったのは数年以上前ですが、その当時から治療方針の押しつけにならないように細心の注意を払ってきたつもりです。
「治療方針を押しつけない」というのは、手術に誘導するための説明をしない、という意味です。
あるいは、あたかも手術しか方法がないような印象を患者さんに与えるような説明をしないように心がけてきました。
手術を望まない理由には、手術が怖いという以外にも、身体にメスを入れたくないというポリシーの方もいますし、色々な理由がありますね。
いずれ手術かも知れないけれど・・と言いながら、これまで妥協案も提案してきました(笑)。
手術せずに様子を見た場合、一時的に手術を回避できますし、うまくいけばかなり長期間逃げられます。
ひょっとすると、一生逃げられるかも知れません(笑)。
もしも再発すれば最初の時と同じ症状が出てきます。
そして、一度再発してしまったら、これからも二度三度と再発すると考えるのが普通ですよね。
・・そうなって、「諦めがついたら手術を決心する」でも良いという考えです。
もちろん、先ほどのガン化のリスクはご自身で責任を引き受けてください、誰のせいにもできません。
このことをご自身で納得していただく必要があります。
なお、痔瘻から出てくるガンは、診察だけで早期診断することはできません。
ものすごく進行した痔瘻ガンでなければ、診察だけで診断することは不可能です。
普通の痔瘻と見分けがつかないのです。
ですから普段は手術を勧めることのない私でも「痔瘻ガンが怖い」という方は手術した方が良いと考えています。
即座に手術を決意、なぜ?
長々と当院の治療方針を書きましたが、私は、と言いますと「即座に」手術を決心しました。
患者さんには手術をお勧めしないのに、なんで自分は即手術?って仰るかも知れませんね。
アタマの中でこんな風に考えていました。
私はたくさん患者さんを診ています。
治療でどのくらいの痛みがあるか、自分ならその痛みに耐えられるかどうか、治った後がどのくらい快適であるか、モノサシを持っています。
「自分は大丈夫、十分耐えられる」と判断しました。
そして、
「再発に怯えながら生活するなんて考えられない、絶対治す。」
という発想でした。
結局、手術のメリットとデメリットを比較して、私は手術の方がラクだと思ったのです。
・・私にとっては正解でした。
診断当日に手術(笑)
手術と決めたら、即実行です。
巌「お願いだから今日手術してちょうだい。」
みのり「ええっ、今日?!なんでよ?」
巌「何日も手術を待つなんて、そんな緊張に耐えられない・・・」
みのり「え~?!」
ま、これは半分ホンネ、半分は冗談です。
落ち着いて治療に専念できる日程なんてゼッタイ取れないような生活をしていましたので、思い切れる時に治療をはじめるしかないと思ったのです。
それに、今日に治療をはじめれば完治する日だって一番早いはず。
そうして無理矢理ねじ込みました、当日手術。
その日のうちに家内に手術をしてもらったのです。
これぞ役得であります(笑)。
自分の病院で無理は利くことに加え、家内が主治医なんだから入院しなくて良い、というか、入院よりも自宅の方が安全という、言わば移動式ICU的安心感も、その判断を後押ししてくれたことは言うまでもありません(笑)。
私は普段、患者さんには急いで手術することは勧めません。
手術を決める前に、冷静に考えて欲しいことがあるのです。
ひとつめは、病気の事や治療によるメリットとデメリットを十分理解できているかどうかです。
私の場合は、医者で、しかも自分の専門領域の病気だから、今日手術という判断ができたのです。
逆に専門外の病気だったら、こんな判断はできないと思います。
ふたつめは、主治医に対する信頼です。
手術を予約して帰宅した患者さんが、家族や知人に「別の先生のほうがいいよ」と言われて迷ってしまうことは良くある事なのです。
迷うことの善し悪しは別にして、「手術予約をしてしまったから、もういいや」というのは良くないことだと思います。
「あなたが私のことを信頼に足ると判断してから手術を決めたら良い」というつもりで、手術は急がなくて良いと説明しています。
今回の私の場合は、いつも一緒に診療をして、疾患や排便、術後管理に対する思想も共有している家内に任せれば、私のイメージ通りにやってくれるはずだという安心感がありました。
結果、正解だったと思っています。
家内は、もうイヤだ、二度とするもんか!と言っていますが、もしもまた悪くなったら、家内に頼もうと思っています。
人によって答えが違う
当院は手術をお勧めしない肛門科です。
手術を避ける技術を大切にしています。
でも、手術治療を否定しているのではありません。
患者さんによって、手術を選択をする人、手術しないことを選ぶ人、両方いて構わないと思うのです。
ただ、その選択を偏りのない姿勢で考えていただきたい、そのお手伝いをしたい、というのが当院の立場です。
その結果、私自身は痔瘻になって手術を選択しました。
今日はそういうお話でした。
続きはこちらです。
http://osakakoumon.com/column/553/
このシリーズのまとめ記事はこちらです。
痔瘻手術を受けた肛門科医(5)痔瘻治療に取り組んだ話のまとめ(http://osakakoumon.com/column/606/)
大阪肛門科診療所 院長。 平成7年大阪医科大学卒業。大学5年生の在学中に先代の院長であった父が急逝(当時の名称は大阪肛門病院)。大学卒業後は肛門科に特化した研修を受けるため、当時の標準コースであった医局には入局せず、社会保険中央総合病院(現 東京山手メディカルセンター)大腸肛門病センターに勤務。隅越幸男先生、岩垂純一先生、佐原力三郎先生の下で3年間勤務、研修。平成10年、院長不在の大阪肛門病院を任されていた亡父親友の田井陽先生が体調不良となったため社会保険中央総合病院を退職し、大阪肛門病院を継承。平成14年より増田芳夫先生に師事。平成19年組織変更により大阪肛門科診療所と改称し、現在に至る。