痔瘻手術を受けた肛門科医(3)手術翌日と治るまで
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(2019年8月11日加筆修正)
本当に役立つ知識は実体験からこそ得られるものだと信じている院長の佐々木巌です。
私は今から数年前に痔瘻になり、手術を受けました。
(正確には単純痔瘻の診断で、切開開放術という手術を受けました。
当院は現在「手術を避ける技術を大切にする肛門科」ですが、そんな私が手術を過去に手術を受けたことを知ったとき、患者さんたちの反応はほとんどが、
「安心しました」
「仲間(または先輩)だったんですね」
「嬉しい(なぜ?)」
といった好意的なものです。
私自身は、指導する立場の医者が痔瘻になってしまうなんて信用を失うのではないかと心配したのですが、これは全くの杞憂でした。
今となっては病気と患者さんを理解するために大変に良い経験でしたと周囲の方々にお話ししております。
ところがそうなると、今後はさらなる勉強のために、いぼ痔(痔核)と切れ痔(裂肛)にもなる必要があるのだろうか、いやいや、複雑痔瘻もまだ残っているぞ、などとオソロシイ考えが頭をもたげ・・
いやいや、これは御免蒙りたい、と忘れることにしております(苦笑)
いずれにしましても肛門科医の私ですら、患者さんに告白するのに、手術後2年ほどかかりました。
肛門科医ですら、こんなもんです。
みなさん、なかなか人に言えないのは当たり前だと思います。
今回のお話はシリーズの3回目です。
ここまでの話はこちらからどうぞ。
痔瘻手術を受けた肛門科医(1) 肛門科医が自分自身の痔瘻手術を決心したときのこと(http://osakakoumon.com/column/525/)
痔瘻手術を受けた肛門科医(2) 麻酔と手術中のこと
(http://osakakoumon.com/column/553/)
実は手術翌日のスケジュールが問題だった!
「手術してちょうだい・・今から!」
痔瘻の診断を受けてすぐ、みのり先生にお願いした私でしたが、実は手術の翌日は、知人との約束で伊勢まで日帰りする予定がありました。
みのり「明日、伊勢はやめておくの?」
巌「大丈夫」
みのり「えー、そんなんムリやろぉ?」
巌「いや、絶対行く」
大阪〜伊勢間は、近鉄特急で片道約1時間半かかります。
近鉄特急は全席指定ですし、私が乗る時間帯はガラガラに空いている時間帯。
そんな車内で立ったままで往復するのは少しばかり怪しい人って感じですが(笑)いざとなればそれでも約束は果たせると確信し手術を受け翌日を迎えました。
結局、指定席にずっと座りっぱなしで片道1時間半の往復、計3時間をクリアしました。
さすがにちょっと辛かったかな?
一度座ったが最後、もう動きたくない、みたいな感じでしょうか(分かります?)
手術のキズは肛門の背中側にありましたから、座る姿勢は背筋をぴんと伸ばして、かつ、やや前かがみ。
みんながくつろいでいる車内で、ひとり緊張して座っている私でした(笑)
さて、出向いた伊勢で人にお会いしたのですが、手術を受けたことは内緒にしておきました。
ちょっぴり恥ずかしいという気持ちもあったのだと思います。
動作によっては心の中で「アイタタタ・・」と言いながら平静を保ちます。
近隣を散歩したりもしました。
・・やけにスローペースでしたが(苦笑)。
なんとか約束を果たした帰りの近鉄特急では「うん、やればできる」と自分をほめてしまいました(笑)。
ちなみに後日、手術翌日にお会いした方に実は前日に手術を受けていたと真相をお話ししたところ、
「あー、そう言えば、あの日は確かに動きがぎこちなかったですね!」ということでした。
でも、その程度なら十分痛みの少ない手術と言えるでしょう!
術者のみのり先生、ありがとうございました。
手術当日の夜
話が少し前後するのですが、手術当日夜のことも書いておきます。
手術を受ける皆さんにとって、当日の夜も恐怖の対象みたいです。
「当日の夜と初回の排便は地獄の苦しみ」
なんて脅されている方も多いのです(汗)
結果から言うと、私はちゃんと寝ました。
いつも通りとまではいきませんが、それでも普通に睡眠は取れました。
普段から術後の患者さんには「痛み止め」を出しますが、私も同じパターンで内服しました。
自分だけは患者さんよりたくさん飲んだりなんて、ズルはしていません(笑)
当院の術後患者さんには、手術当日の晩どのくらい眠れたかいつも尋ねます。
良くお聞きする返答のひとつは「痛い夢を見ながら寝ていた」というもの。
痛みを感じつつ、うつらうつらした、って意味でしょうか。
こんな風におっしゃるのは痛みをやや強めに感じておられる方です。
もっと痛みが少ない方は「寝返りでは目が覚めたけど、大体寝た。」とおっしゃいます。
ほかには「痛み止めの効果が切れて明け方に目が覚めた」とおっしゃる方もおられます。
言葉の選び方の問題で「痛かったんだ!」という印象を受けますが、こんな風におっしゃる方は大抵、明け方までは鎮痛剤の効果でちゃんと寝ておられます。
私たちからすると「良かった良かった」みたいな感じです。
皆さん寝ておられるわけですから、上記のご感想はいずれも許容範囲内と思っています(苦笑)
ちなみに本当に痛みが強烈な患者さんには普通の痛み止めは全く効きません。
そして、決して眠りません。
当院でもそういった患者さんをごく少数ですが経験しており、これまで注射の痛み止めで鎮痛してきました。(入院でないとそういった痛みには対応できないわけです、すみません)
で、私はと言いますと、
「大体寝た。寝返りをしたら皮膚の痛みを感じて、ちょっと目が覚めた。でも手術の疲れか、目が覚めてもすぐにまた眠った。」
という感じで、手術当日としては全く問題ないというレベルでした。
目が覚めたときには、
「さあ、伊勢に行くぞ!」
と気合いが入ってました(笑)
その後の過ごし方
さて、治療期間中は、それまで自分が患者さんに指導してきた事を、実践しました。
毎日排便する。
歯磨き粉くらいの硬さの便を目指す。
酒と自転車は禁止。
風呂にはいる。
洗いすぎない。
痛みを感じたときには括約筋が緊張しているので、努力して脱力する。などなど。
やっぱり自分でやってみるもんですね。
「言うは易く行うは難し」の部分もありましたが、全体的には、我ながら良い指導だ、と自画自賛してしまいました。
現在もその方法に改良を加えつつ、継続しています。
術後は症状的にもいろいろな変化があります。
痔瘻の手術直後は、はっきり言っておしりの締まりが悪く感じます。
あと肛門を締めるとキズが痛いので、ガスも便もガマンせずに出すことにしました。
術後1-2週間程度でキズの痛みはマシになり締めれるようになりましたが、まだちょっと弱い感じ。
2ヶ月でキズは完治し、不便はしないくらいに強く締まるように感じました。
でもなんかちょっと頼りない気もしました。
医者にとっての完治とは上皮化のことで、皮膚に傷がなくなり病院に通わなくてもよくなった状態を指します。
しかし患者さんの立場では、実はまだそれ以後も改善は続きます。
私の場合、締まりの頼りなさを感じなくなるのに半年程度、
実際に違和感なく馴染むのに、私は約1年半くらいかかりました。
こういうことは、はじめから知っていたので心配はしませんでした。
でも、こういう情報がないと患者さんは不安だろうと思います。
ちなみに、本当に締まりが緩い場合には括約筋の強さを測る検査を行います。
前職の病院勤務時代、まだこの検査が一般的でなかった頃に私も実践する機会をいただきました。
誤差が出やすい検査で正確に測るためには技術が必要なこと、そして臨床上必要性を感じていない、という理由で当院では未導入です。
必要なら紹介して検査することにしています。
術後診察について
患者さんには治るまで週に1回の通院をお願いしています。
経過の確認と、術後の管理は色々と分からないことが多いので、その相談の意味合いが含まれます。
痔瘻だと1ヶ月半から2ヶ月くらいかかって治るような、そんなイメージを持っています。
ちなみに、みのり先生による私の術後診察は、手術の翌日と、2ヶ月後、たったの2回だけ!!
毎日のように「診察してくれよ~」という私に、「え?うん、また明日。」と言ってみのり先生は応じてくれないのです・・(涙目)
2ヶ月後、とうとう診察してくれた時には既に完治、みのり先生曰く、
「うん、キレイに治ってるよ。あたしって上手!」
「ええっ?!なんか違うでしょ?患者が良いんでしょ?」
と思わずツッコミ。
まあ、大体どうなってるかは想像がついたのですが、自分で見えないから不安じゃないですか。
診察、受けたかったです(涙)
私としては患者の技術が高いのでスムーズに完治したのだと、今も信じております😓
さいごに
自分が痔瘻の手術を受けて、患者さんの気持ちが少し分かったように思います。
私には、専門家としてたくさんの患者さんを治療してきた、という自負がありました。
そんな専門家でも、自分の治療となると心配や困難を感じるんです。
患者さんだったら、なおさらですね。
良く分かりますよ!
続きはこちら
痔瘻手術を受けた肛門科医(4)自分自身の術後にケアをどうやったか(http://osakakoumon.com/column/581/)
このシリーズのまとめ記事はこちらです。
痔瘻手術を受けた肛門科医(5)痔瘻治療に取り組んだ話のまとめ(http://osakakoumon.com/column/606/)
大阪肛門科診療所 院長。 平成7年大阪医科大学卒業。大学5年生の在学中に先代の院長であった父が急逝(当時の名称は大阪肛門病院)。大学卒業後は肛門科に特化した研修を受けるため、当時の標準コースであった医局には入局せず、社会保険中央総合病院(現 東京山手メディカルセンター)大腸肛門病センターに勤務。隅越幸男先生、岩垂純一先生、佐原力三郎先生の下で3年間勤務、研修。平成10年、院長不在の大阪肛門病院を任されていた亡父親友の田井陽先生が体調不良となったため社会保険中央総合病院を退職し、大阪肛門病院を継承。平成14年より増田芳夫先生に師事。平成19年組織変更により大阪肛門科診療所と改称し、現在に至る。