自由診療の医療機関として心がけていること
カテゴリー:
自由診療の責任
(2019年5月6日加筆修正)
本当はプレッシャーに弱い院長の佐々木巌です。
当院は自由診療です。
保険診療は行政から許可を受けてはじめて行うことができる制度なのですが、当院には許可がありません。(正確には先代院長の時代、昭和57年に保健医療機関の許可を返上しました)
だから、「保険でやってよ」と言われてもできません。
「薬だけ薬局でもらいます」と院外処方を希望されてもやっぱり当院の処方箋は保険が効きません。ご承知おきください。
ま、同業からも世間からも、ちょっと浮いた存在であることは自覚しています(笑)。
このブログも、世間から浮いてしまう理由の一つかも知れませんが・・
何はともあれ、先日、自由診療の記事をいくつか書きました。
その記事のひとつに、自由診療の光の部分が「自由」だとすれば、影の部分は「責任」と書きました。
この記事です↓
「大阪肛門科診療所は自由診療です」
今日のお話は、自由診療の華々しいところではなく、苦しく辛く地味でジメジメした(笑)そんな部分のお話です。
自由診療の責任って何だろう、私たちはどんな責任を感じてやってきたのかを考えてみました。
そうして思い浮かんだのが、「プレッシャーに耐えること」そして「ウソをつかないこと」でした。
プレッシャーに耐えること
近年の私が「自由診療の責任」と聞いてまず思い浮かぶのが、「自己責任のプレッシャーに耐えること」です。
これは責任と言うよりも、「代償」という方が良いのかも知れません。
自由診療の場合、保険診療のような大きな仕組みがバックにありません。
医療の妥当性、価格の妥当性を誰も約束してくれません。
全部自分で決めて、その妥当性はすべて患者さんからダイレクトに返ってきます。
自分達の医療や価格が悪ければ、患者さんからの評価は低くなり、社会からの信用を失います。
信用を失えばいずれ経営が立ちゆかなくなり、廃業・倒産という形で責任を取ることになります。
実はこういうことは一般の社会ではごく普通のこと、普通の社会の構造だと思います。
ただ、医療では少し事情が違うのかなあ、と思っています。
日本の医療は、基本的に保険診療です。
保険診療は公共事業です。
だから、医療機関は個人経営であれ、公的機関であれ、公共事業の下請けです。
事業全体ではある意味、安泰と言えます。
仕事自体はなくならない(はず)。
私たちは保険診療という巨大な公共事業では手の届かない「スキマ」を埋めるように医療を行っています。
「標準、安価、王道」というだけでは、自由診療の施設は生き残れないのです。
「高い費用を取っているのだから、自由診療なら経営は楽ちんなんだろう」と想像している方が多いと思うのですが、実は医療内容と価格を必死に考え続けた19年間でした。
先日も書きましたが「値決め」って本当に苦しいです。
自分達の評価を問う行為だからです。
前述の通り私はプレッシャーに弱く(笑)、座右の銘は「石橋叩いてなお渡らず」(ウソ)。
こういうときは、みのり先生の行動力が強い武器になります。
ウソをつかないこと
ぼったくりバーってご存じですか?
「ああ、あれね。」とボーッとしたイメージはあるんですが、折角だからウィキペディアを見てみました。
ぼったくりとは、店側の客への不正行為で、商品やサービスを相場を大幅に上回る価格で提供し、客を欺くことを指す。語源は米騒動の際の暴利取締令にて「暴利」を活用させたものであり、しばしば短縮されて「ぼった」、動詞として「ぼったくる」「ぼられる(ぼる)」と表現される。サービスの後で異常な上乗せ料金の請求。キャバクラで多発。・・以下略
とありました。
丁寧に語源まで教えてくれました。
勉強になりました(笑)。
私が当院で診療をはじめた平成10年、私自身は過去に自由診療での診療経験は全くありません、完全にはじめてでした。
そのとき一番はじめに決めたことが、ウソをつかないこと、でした。
自由診療だからよその肛門科よりも値段が高いのは仕方がない。
でも、ぼったくりバーならぬ「ぼったくり肛門科」にならないようにしよう、それが責任だと思っていました。
誰よりも私自身が当院の診療費を高価だと感じていたわけです(苦笑)
ウィキペディアの解説にもありましたが、「サービス後の異常な上乗せ料金の請求」がぼったくり行為です。
本来、事前にいくらくらいかかりますと言っておけば、ぼったくりではないはずです。
でも、当院の場合はもう少し深く考える必要がありました。
当時は予約制ではありませんでしたから、患者さんはある日突然窓口にやってきます。
当院が自由診療であることを知っている人ばかりではありません。
知らなかった人の中には、すぐ帰る人、それでも受診を決める人、そして迷う人がいます。
納得して受診を決める人は良いのですが、問題は帰ってしまう人、迷う人です。
窓口に来る人全員に、事前に知ってほしい
来院してはじめて当院が保険が効かないことを知り帰ってしまう人の中には「保険効かへんのやったら書いとけ!」と怒って壁を蹴っ飛ばして帰って行く人もいました。
こういうの、結構辛いですよ・・
私は診療中ですから現場に居合わせたケースはほとんどありませんでしたが、対応する受付職員は辛かったと思います。
対応が辛いのも問題ですが、もっと深刻な問題は評判にキズがつくことです。
怒った人って何を言うか分からないじゃないですか。
当院の悪口に尾ひれがついて世界中に広がってしまうんじゃないか・・と悩みました。
例えば「あそこに行くと何百万もかかるぞ」なんて。
実はこれ、当院の近隣地域で本当に言われていた噂です。
今はどう言われているのか知りませんけど。
いや、本当に世界中に広がると思ってました。
良い噂は広まるのにスゴく時間がかかるんですけど、悪口って一瞬で広まりますからね。
だから、当院に足を運ぶ人は全員、すでに当院が自由診療であることを知っていて、料金のことも診療姿勢も知っている、そんな状態にしたいと思いました。
どうしたらいいだろうか・・?
当時はインターネットが普及しておらず、患者さんが病院を探す際の主な情報源は電話帳や新聞・駅の広告でした。
もちろん現在まで続く「名医本」もそうですが、今日はこれには触れません。
そして、おそらく他の業界同様、医療機関に関しても広告には法律で多くの規制があります。
出せる情報に限界があります。
先日聞いたところでは、現在も、とあるメディアで「自由診療」の文字を出そうとすると、確か「痔核日帰り手術はいくら」と併記する義務があるとのこと。
私にしてみたら「なんで『痔核』で『日帰り手術』なの?それじゃあまるでうちが手術をお勧めする医療機関みたいじゃないですか。」って感じです(注:当院は手術を避ける技術を大切にしています)。
これは最近の話で当時はまだ手術を避ける技術は意識していませんでしたけれど、まあ、広告って言うのは、こんな風に当院にとってはちぐはぐなことが多かったのです。
だから広告で伝えることはできない。
なにか方法はないか、考えました。
で、出した結論は電話で伝えること、「全ての患者さんが電話してから来院する仕組みにする」というものでした。
電話だったら法律に縛られず話せます。
当院の費用、考え、診療姿勢とか、自由診療に対してどんな不安があるのかを逆に尋ねることもできます。
実際、受診前に電話で問合せをしてから来院した患者さん達は、当院のことを良く理解してくれていて診療がやりやすかったのです。
そのために全ての広告から診察時間の表示をなくしました。
いつ診察しているか分からない、これじゃ電話をかけるしかないだろう・・と。
ですから当時からはじまって現在も、当院の広告には駅に出している看板も、以前電話帳に出していた広告にも、診療時間を書いていません。
休診日だけは書いてますかね?
・・忘れました(汗)、今度見ておきます(笑)。
でも、診察を受けたい人は、絶対に電話してから来るような仕組みにしたのです。
なおウェブサイトには診療時間も書いています。
その理由は私たちの診療姿勢、自由診療であることを明記できるからです。
人によって価値があるか、ないかが違う
さて大分話が戻りますが、窓口までやってきてはじめて当院が自由診療であることを知り、受診するかどうしようか迷ってしまう方もたくさんおられました。
こういった方々に対しても、ウソをつかないように、「ぼったくり肛門科」という評価を受けないようにしたいと、私は考えました。
ちゃんと選んで受診して欲しいと思いました。
患者さんには事前にいくらかかります、と了解を得てから診察を決めてもらっていたのですが、当時よくあったのが、診察を受けるかどうか迷っている人に対して受付さんが診察を受けるようオススメする、というケースです。
受付さんにしたら、当然のことかも知れません。
そしてもちろん善意から出た行動だと思います。
診察を受けた結果、「良かった!」と喜ぶ患者さんもたくさんおられましたし、そういう方は受付さんに感謝してくださいました。
でも、人によっては「受けるんじゃなかった」という方もおられたわけです。
結局価値の判断は人それぞれなんです。
私たちが良いと思っていても、それが良いか悪いか、価格だけの価値があるかどうか判断するのは患者さんなのです。
だから、窓口で診察を受けるかどうか迷っている人には、受診をオススメしないように指示しました。
ハッキリと「健康保険の効く肛門科もありますから、放っておかないでそちらに行かれるのも良いと思いますよ。そちらでも解決しないようならその後で当院にいらっしゃっても大丈夫です。」と申しあげるように指示しました。
当時の患者さんは他の病院に先に行くのは当院に対して失礼だと考える方が多かったのです。
その頃も現在も、私たちは他院を受診なさった後でも全く気にしません。
さらに最近は当院受診後に他院に行かれるのも気にしなくなりました。
比較する姿勢は大切だと思いますし、比べていただいて結構ですよ(笑)。
そもそも、当院はたまたま通りすがりで立ち寄ったという患者さんのための施設ではありません。
もっと専門性の高い施設で、わざわざ選んで来られる施設のはず。
だから当院はそういう通りすがりの患者さんを「だまし討ち」にしない、と決めました。
「だまし討ち」ってちょっと言葉が悪いかも知れないけれど、満足できなかった患者さんにとってはだまし討ち以外の何物でもないと思うんですよね。
満足してもらうことが一番大事
ここまで書いた自分達の責任を全うできたかどうかは、患者さんが満足してくれたかどうかを見ていれば全部分かります。
結局のところ、患者さんに満足してもらうことが一番大事なのです。
そのため当院の場合、患者さんにも、ちょっとしたハードルを越えて頂いています。
そのハードルを越えた方だけが受診されるようになっています。
そのハードルとは「敢えて標準ではない医療を選ぶという自覚を持ち、普通の医療よりも高額な費用を支払ってでもその医療を受けることを希望する姿勢」です。
その気持ちが不十分だと、万一、医療の結果が希望通りに行かなかった場合、「こんなはずじゃなかった」と後悔することになりますし、高額な費用を負担する分だけ後悔もきっと大きいからです。
言葉を換えると「当院を選ぶ患者さんの責任」と言っても良いと思います。
わぁぁ、言っちゃったよ・・(汗)。
スミマセン、偉そうに。
最後に
汗をかいたところで、突然、今日のまとめです。
医療機関も患者さんも、自由の代償として責任を持つこと。
それが自由診療という言葉の裏側に隠れた意味だと私は思っています。
大阪肛門科診療所 院長。 平成7年大阪医科大学卒業。大学5年生の在学中に先代の院長であった父が急逝(当時の名称は大阪肛門病院)。大学卒業後は肛門科に特化した研修を受けるため、当時の標準コースであった医局には入局せず、社会保険中央総合病院(現 東京山手メディカルセンター)大腸肛門病センターに勤務。隅越幸男先生、岩垂純一先生、佐原力三郎先生の下で3年間勤務、研修。平成10年、院長不在の大阪肛門病院を任されていた亡父親友の田井陽先生が体調不良となったため社会保険中央総合病院を退職し、大阪肛門病院を継承。平成14年より増田芳夫先生に師事。平成19年組織変更により大阪肛門科診療所と改称し、現在に至る。