痔の手術が少ない肛門科です
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当院は健康保険の効かない自由診療の肛門科です。
だからというわけでもありませんが、手術件数は少ないです。
入院手術は数ヶ月に1回しかやっていません。
なぜ数ヶ月に1回しか入院手術をやらないのか?
それは、そんなに手術希望の患者さんを抱えてないからです(笑)。
そのくらいの件数しか手術していない、ということです。
もちろん、入院せずに日帰りでも手術を行っていますから、手術がこれで全部、ではありません。
それでも
大腸の診療を行わない肛門専業の医療機関として、
そして専門医兼指導医が二人もいる医療機関として、
当院はおそらく手術件数の極めて少ない施設ではないかと思います。
当院がどうしてそんな風になっていったのか。
ちょっとだけお話しします。
手術以外でできる治療は全部やった?
私は当院に赴任した20年前から「必要のない手術はしない」というポリシーで診療してきました。
当たり前すぎてポリシーと言って良いのか(苦笑)
しかし、ある時「何をもって手術が必要と考えるのか」をマジメに考察した結果気付いたのです。
「痔の手術で『絶対に手術が必要』な状態って滅多にないんだ!」
そうしたら、患者さんに
「この病状は手術したくなければしなくていいよ!」
あるいは
「あなたさえ納得しているんなら、ずっと付き合っていていいんだよ!」
「辛くなったら、それから手術を考えたらいいんだよ!」
と言うことが多くなりました。
そして院内には望まない手術を回避した患者さんの笑顔が増えました。
逆に、手術を受けた患者さんたちの笑顔も増えました。
なんとなく手術を受ける患者さん?が減ったからだと思います。
「・・なんとなく手術を受ける患者さんなんて、ホントにいるの?」と思うかも知れませんね。
しかし現実には、こういう方がいかに多いことか!
- 医者に勧められたとか、
- そういうものだと思っていたとか、
- 受診したらその時の流れで・・とか、
そんな風に手術を決めた方は、なんとなく・・で手術を決めた方かも知れません。
いえ、受診するまでは皆さん真剣に考えているのですよ。
しかし受診してからは、ほとんど考えずに決めてしまう方も多いんです。
是非とも、本当に手術するかどうかメリットとデメリットをよく分かった上で検討してほしいです。
さて、当院ではなんとなく手術になる方が少ない。
つまり、患者さんご自身が、何に困っているのか、どうなりたいのか、ちゃんと分かって、目的があって手術を受けておられるので自己責任の意識がしっかりとあります。
さらにそういう方には、少々の困難にはへこたれないという副産物も(笑)
だから、手術を受けた患者さんにも笑顔が増えたんだと思います。
そんな風にして、手術を検討する前に
「やれることは残っていないか?」
を意識するようになりました。
当院が現在行っている出残り便秘の治療はこの流れから発展したものです。
はじめのうちは
「出残り便秘の治療をすると辛い症状がラクになる」
ということだけで十分だったのですが、次第に
「今ある痔が悪化しないように出残り便秘を治療する」
となり、さらに
「出残り便秘の治療が痔の根本治療ではないか」
という風に治療を適応する場が広がりました。
その結果、当院の手術件数は一番多い時のおよそ1/10程度まで減少しました。
(注)痔と付き合ってゆくと決めた方には、大腸内視鏡検査を強くお勧めしています。
「痔だと思っていたら大腸癌だった」と言う事例が後を絶たないからです。
ご注意ください。
なお当院では大腸内視鏡検査は行っておりませんので、ご了解ください。
当院は手術を避ける技術を大切にしています。
そんなわけで、手術件数が少ない言い訳を延々としましたが(笑)、
それでも手術を検討している患者さんが少数おられます。
自慢ではありませんが(いや、自慢なんですが)当院の入院は結構楽しいと思います。
「痔の入院が楽しい?何言ってんの?」と言われてしまいそうですが、前向きな患者さん達が励まし合って治療に取り組まれる様子は、まさに合宿?!
どうせ手術するんだったら仲間がいる方が良いという考えもあって、事前に告知させて頂いています。
入院手術を実施できないこともあります
非常に現実的な話ですが、当院の入院手術は希望者が2人以下だと実施いたしません。
入院診療を運営するためのコストが賄えないのです。
ですから3人以上のご希望者があって、実行となります。
2人以下の場合は?
・・・その時は、個別に相談します。
ご了解ください。
大阪肛門科診療所 院長。 平成7年大阪医科大学卒業。大学5年生の在学中に先代の院長であった父が急逝(当時の名称は大阪肛門病院)。大学卒業後は肛門科に特化した研修を受けるため、当時の標準コースであった医局には入局せず、社会保険中央総合病院(現 東京山手メディカルセンター)大腸肛門病センターに勤務。隅越幸男先生、岩垂純一先生、佐原力三郎先生の下で3年間勤務、研修。平成10年、院長不在の大阪肛門病院を任されていた亡父親友の田井陽先生が体調不良となったため社会保険中央総合病院を退職し、大阪肛門病院を継承。平成14年より増田芳夫先生に師事。平成19年組織変更により大阪肛門科診療所と改称し、現在に至る。