小さな痔瘻ほど診断が難しい
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先日完治した痔瘻の患者さんのお話です。
痔瘻の診断は難しいです。一筋縄ではいかないことがあります。
言い訳じみて聞こえるかも知れませんが、デカい痔瘻なら大抵一発で痔瘻だと診断できます。デカすぎて全体像を把握するのに苦労することはありますが。
難しいのはむしろ小さな痔瘻です。普通なら小さな痔瘻は症状も少ないので問題なさそうですよね。ほとんどの場合、その通りです。
ところが、ホントに小さな痔瘻なのに不快感を強く感じる方が時々おられます。痔瘻があまりにも小さくて、普通なら正常に見えてしまい医療機関では相手にしてもらえないようなケースです。
そんなケースに遭遇しました。
患者さんは実は関東の方です。診断に手こずって、手術が必要だという診断を下すまでに随分時間がかかってしまいました。それなのに、信頼して遠くから通ってくださいました。
最終的に当院で手術となったのですが、手術以後のことは次回以降に書きます。
今回は手術となるまでのお話です。
痔瘻についてはこちら
この記事の目次
手術になるまでの経過
5年前から3年前にかけて裂肛→肛門科受診→軽快→再発→また受診→軽快・・・を繰り返したそうです。肛門科ははじめは東京都内のA院でしたが、少し遠かったのでより近いB院にかえて、なんとか軽快。
ところが2年くらい前からでっぱりを感じ、同じB院に相談したところ外痔核がうっ血により腫れていると説明を受けました。
そのころ当院のブログを読んで、ご自身が出残り便秘の症状に当てはまることに気付かれて、はるばる当院まで受診されました(1年半前のことです)。
出残り便秘についてはこちら
当院に来院された時の症状は、でっぱりの不快感・排便時に肛門がつっぱる感じ・軽度の痛み、というものでした。
当院の診断は外痔核・軽度の裂肛。
確かにうっ血すると腫れるタイプの外痔核で、この点はB院と同じ意見でした。
いつものように便通の治療を提案して、3週間後に来院してもらいました。
その結果、裂肛は良くなりましたが、外痔核には効果はありませんでした。
外痔核は治したければ手術するのが妥当であることを説明しました。
それから3ヵ月後にB院で手術を受けられましたが、経過が不順だったそうです。
術後3ヵ月の診察ではB院の主治医は完治の診断をしてくださいましたが、ご自身の感覚では治っている感じがしない。
そこで、さらに別のC院を受診されました。
C院では手術のキズが治りきっておらず再手術した方が良いかも知れない、との説明を受けたそうです。
こういう経過を経て、私の意見が聞きたい、と再び当院を受診されました(今から約1年前です)。
私は当初、普通の術後難治創と診断しました。
難治創とは「治りが悪いキズ」という意味です。
便通の管理で治るはずと考えて再び便通の治療を提案、患者さんと相談して次の受診は3ヵ月後に予定しました。
で、3ヵ月後の診察となりました。
パッと診たところ、キズが治っていない。
予想と違うぞ?なんだかおかしいな?
そう思いつつ触診すると前回には憶えのない気になる硬さがあります。
よーく触ると・・痔瘻?
あれあれ?見逃し?!
まさか?!
そんな葛藤がココロの中でグルグル・・
しかし、痔瘻だったとすれば、不快感もキズが治りにくいのも説明がつくのです。
一般に痔瘻は痛い病気と言うことになっています。
しかし、小さな痔瘻の場合など無痛のことが多々あります。
しかし、しかし、小さな痔瘻でもスゴく痛がる患者さんもいます。
で、中には痛みまでは行かないんだけど、なんか不快な感じだったり、軽ーい痛みだったりする方もおられます。
要するに痔瘻の場合、例外的な症状の患者さんもおられるのです。
また、痔瘻の周辺のキズは治りが悪いことが多いのです。
これは炎症のせいだと言われています。
痔瘻による症状であれば、治療は手術です。
私は患者さんに前回診断できなかった痔瘻があること、痔瘻を治すには手術しか方法がないことを説明し、手術はC院に依頼するように提案しました。
実はC院の院長は私の前職時代の先輩で、とてもお世話になった方です。
私は後に増田芳夫先生の門下になり少数派の治療方針になりましたが、C院は前職での教えを守っている主流派で王道の肛門科です。
きっと上手に手術してくれますよ。
そう言って紹介状を書いたのですが・・・
予想に反して、患者さんは2週間後に来院されました。
「C院の先生は、痔瘻はないから様子を見ようっておっしゃるんです。超音波検査をしても見えないって。」
え?・・ええーー?!
再び私の誤診?
焦りつつ診察しましたが、痔瘻は・・やっぱりあります!(ホッ)
うーん。
きっと私は増田先生に出会ってから指を鍛える診療をひたすら行ってきたからその成果なんだ、と考えることにしました。
そして、エコーって本当に小さな痔瘻は見えないのかも!とも。
この患者さんは、最終的に遠方にもかかわらず、当院での手術を希望されました。
「え?ウチでいいの?遠いし、高いけど・・」
「だって、痔瘻だって診断してくれるの、先生だけですから。」
・・いや、まあそうなんですけど。
職人芸は一歩間違えれば詐欺に見える
さきほど「指を鍛える」と書いたのは、もちろん「触診の感覚を鍛える」と言う意味です。
決して筋トレじゃありません、念のため。
痔瘻の管(くだ)の部分は比較的触知しやすいのですが、痔瘻の原発口を触知は難しい。
原発口とは痔瘻の内側の口のことですが、小さすぎて正常組織との区別がつかないのです。
今回ご紹介したケースは、痔瘻の管も原発口も小さくて診断に手こずったわけです。
私には一回で見つけることができませんでした。
師匠の増田先生なら一回で見つけるのかも知れません。
残念ですがこんなこともありますし、それが私の実力です。
それでも何とか見つけることができたのは受診のタイミングが良かったのだと思います。
痔瘻には触れやすい時期とそうでない時期があるのです。
少し話が横道にそれますが、以前の職場の上司に言われたことを思い出します。
技術というものは上手くなるほど成功率を向上させるのが難しいものだ、という話です。
先ほど原発口の触診は難しいと言いましたが、これを例に取って説明すればこうなります。
肛門を扱う医者なら、初心者でも50%くらいの痔瘻で原発口を触診で認識することができると思います。
この50%を75%に上げるのには「かなりの努力」が必要です。この努力を「100」とします。
じゃあ、75%を100%に向上するには同じ「100」だけ努力すれば良さそうですが、現実はそうではありません。
「100」の努力だとせいぜい75%が90%に上がる程度。
たった15%を向上させるために、25%改善させたのと同じくらいの努力が必要というイメージです。もちろん数字は厳密ではありません。
さらに90%を95%にするのにまた「100」の努力が必要で、そしてさらに98%にするのにはまた「100」の努力が、98%から99%にまた「100」の努力が必要だということです。
しつこくてすみません(笑)
そして、最後の99%を100%に向上させるのは大変です。
一生到達できるかどうか分からない。
到達できたかどうか確かめる術がない世界です。
・・こんな話を前職の上司に言われたことがあります。
さて、話を戻しますが、師匠である増田芳夫先生はこれをマスターするのに10年くらいかかったとおっしゃっていました。
私はまだまだ修行中です(職人への道は遠いです)。
痔瘻の方の診察中にはこれを一生懸命やります。
当然診療の効率は落ちますので、たくさんの患者さんを診ることはできません。
現代の医療では、そんな修行をするよりも超音波検査を勉強する方が現実的です。
個人の感覚に依存しない検査の方が再現性が高いからです。
再現性が高いっていうのは、誰がやっても同じ結果が得られる、と言う意味ですね。
再現性が高いことは保険診療ではきわめて重要なことです。
保険診療はどこの施設にかかっても同じ医療を提供できるのがタテマエだからです。
みんな同じように診断できなきゃ、均一な医療は実現しませんから。
その点、当院は自由診療ですから、前時代的であろうが、再現性に乏しかろうが、効率が悪かろうが、ポリシーに従って診療しています。
たくさんの患者さんを診ることはできませんので、その分診療費は高額です。
そういう考え方の施設も必要だろうと思うのでこんな風にやっています。
誰が見ても痔瘻だって分かるケースは良いんです。
問題は、何もなさそうに見えるのに実は痔瘻だったと言うケース。
技術が高くなるとそういうケースを診断できるようになります。
ただ、職人芸というのは他人から誤解を受けやすいのです。
これは増田先生と出会ったときに自分が感じたことでもあります。
増田先生に出会った頃、当時の私は最初こんな風に思いました。
「私に見えないけど、増田先生には分かるらしい・・ホントなの?」
まずは、疑いの目でした。
胡散臭いと(笑)。
当時の私はまだ若く経験不足でしたが、それでも3年間日本有数の肛門科専門施設で勉強してきたという変なプライドがあったのです。
幸いなことに、私は治療をすべて見ることができました。
極端な表現をすれば、私には見えないけどこの患者さんは痔瘻らしい。
治療してるみたいだけど、よく分からない。
でも治療が完了したら、患者さんの不快感は良くなってる・・
何が起こっているのか分からない、でも良くなった。
私は「自分も見えるようになりたい、治せるようになりたい」と思いました。
増田先生の前ではプライドを捨てました(笑)
治療の一部始終を見たからです。
それから十数年経って、いくらかは見えるようになりました。
まだ全部は見えません。
きっと、全体を見ずに初めと終わりだけ見た人からしたら、手品か詐欺に見えるかも知れません。
先ほど患者さんが「痔瘻だって診断してくれるのは先生(私のことです)だけ」とおっしゃったと書きましたが、よそから見たら詐欺に見えるかもと思います。
現在の医療が職人芸を排する方向なのは、そういう詐欺の類いでないことを証明するためなのかも知れません。
だとしたら、私が目指している技術は詐欺にカテゴライズされるかも・・怖いなあ。
こりゃ確かに保険診療じゃ難しそうだなあ・・・。
大阪肛門科診療所 院長。 平成7年大阪医科大学卒業。大学5年生の在学中に先代の院長であった父が急逝(当時の名称は大阪肛門病院)。大学卒業後は肛門科に特化した研修を受けるため、当時の標準コースであった医局には入局せず、社会保険中央総合病院(現 東京山手メディカルセンター)大腸肛門病センターに勤務。隅越幸男先生、岩垂純一先生、佐原力三郎先生の下で3年間勤務、研修。平成10年、院長不在の大阪肛門病院を任されていた亡父親友の田井陽先生が体調不良となったため社会保険中央総合病院を退職し、大阪肛門病院を継承。平成14年より増田芳夫先生に師事。平成19年組織変更により大阪肛門科診療所と改称し、現在に至る。