いわお先生

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みのり先生の診療室 佐々木いわお院長ブログ「過ぎたるは及ばざるにしかずだよ、佐々木君」

Dr.Iwao

いわお先生よりごあいさつ

大阪肛門科診療所の院長 佐々木いわおです。

大阪肛門科診療所(旧 大阪肛門病院)は、明治45年創立、肛門科一筋で百年以上痔の治療に取り組んできた施設です。

患者さんたちには「大肛(だいこう)」と呼ばれています。
大肛では痔の手術の痛みを少なくするために総合的な視野から医療の改善に努めてきました。

以下が、私たちの方針です。

痔の手術の痛みを少なくする大肛の取り組み

  1. 麻酔の使い方に徹底的にこだわる
  2. 教科書を見るより患者さんの顔を見ながらの手術
  3. 効率は無視して患者さんの話にとことん耳と気持ちを傾ける
  4. 患者さんが納得するまでわかりやすく説明する
  5. 世界トップレベルの師匠から学びさらに改良を重ねている
  6. 「痛くなりませんように」と心の底から拝む(これも師匠から見習った)

当院での治療の特徴は、右の通りです。

  • ムダな手術を受けなくて済む
  • 百年続いている施設なので)あなたの決心をとことん待ってもらえる
  • 手術初日から睡眠薬なしで寝られる人が多い
  • 手術翌日からイスに座って食べている人がほとんど
  • 手術翌日から散歩、観光、ショッピング、ギャラリー巡り、外出ランチを楽しんでいる人も多い
  • 再発を防ぐ具体的な指導が受けられる
  • 個室が選べるのでリラックスできる入院生活
  • 相部屋も選べて痛みを分かち合える仲間に出会える

手術の痛みに関して

手術に関して‥‥無痛はありえないです。でも、初日から、だいたいの人がぐっすり眠っているようです。

「お尻が痛い夢」を見る人が少しいます。一睡もできない人も、ゼロではありません。でも、枕が変わってとか、いろんな「ふだんとは違う環境」による要素が大きいようです。

とても痛がる人もゼロではありません。その点は偉そうなことを言うつもりはありません。痛みの感受性は、十人十色です。中には痛みを「探す」人もおられます。

私が教わった師匠も、先代院長も、患者さんの痛みを軽減させることに少なからずポリシーを持ってやってきました。

過去にすごく痛い手術を受けてきた人の話を聞くと、ひどい場合は施設中が同じように苦しんでいる人ばかり、痔の手術の痛みはこういうものなのだと思っておられる方が少なからずおられる。

逆に、私には、どうしてそんなに痛みの多い治療になってしまうのか、理解できないものがあります。

私自身は基本通りにごく普通に手術しているだけです。でも皆さん喜んでくれるんで、痛みについては少しは自信を持ってもいいのかなあと思っています。

局部麻酔は、一般的な量の1/4ぐらいの薬の量でちゃんと効きます。麻酔の注射はある程度痛いのですが。結構、経験者ほど「処置自体は痛くなかった」と喜んでくれますね。

経験や知識を増やせばふやすほど、尊大になる医師も世の中にはおられます。しかし、私は知ればしるほど不安になり、より慎重になる医師でいたいと思っています。

ですから、患者さんが痔を治した後にどうなりたいのか? 大肛では、それを伺ってから1人ひとりの治療の方法を一緒に模索しています。

あなたがどこで診察を受けるにしても、『いい治療』に出会ってもらいたいとこころから願っています。1日でも、はやく良くなりますように。

院長 佐々木いわお

百年先を見ながら臨床に当たる

家業である大阪肛門科診療所を継ぐときの
私の最初の仕事は、百年前のカルテを
見ることでした。
百年間つづいてきたということを
まずは意識しました。
つぎの百年間、この事業を続けていくとしたときに
どのような条件があるのだろうと考えました。
刹那的に業績を上げるとか売上をあげるよりも
「継続する」ということを考えました。
内科のように長期にわたって定期的に
通院するような診療科ではないので
本当に患者さんに喜んでいただける治療をして
口コミで広げていくしかないと感じました。

医療の価値とは?

医療技術は時代と共に変化します。現在正しいと思われている治療法も、将来、悪い治療法と評価されるかも知れません。

それならば、私たち医療者は何を頼りに医療を行えばよいのでしょうか。価値ある医療とはどんな医療なのでしょう。私は医療の価値というのは、『患者さんのことを本気で考えたかどうか?』だと考えています。

例えば100年後には私が現在やっている治療なんて、取るに足りないつまらないものになっているでしょう。でも、患者さんのことを思う気持ちはどんな時代にも共通のはず、その価値だけは色あせないと思うのです。

そのときのベストを「手を抜かずに」尽くす。当たり前のことだけど、それを生真面目にやることがとても大切だと感じています。

自分のためではなく、患者さんのために考えて行動する。極めて普通のことですが‥‥保険診療のシステムって、それをやっていたら個人の開業では経済的にも、時間的にもやっていけない現実があります。

保険診療だと、たくさんの患者さんを診ないと経済的に厳しいし、また実際、たくさん患者さんが来ますから本当に忙しい。研修時代には保険診療、独立継承してからは自由診療、両方を見てやってきてそう感じるようになりました。

よく、

  • 保険診療は医者の善意によって支えられている
  • 医者の奉仕によって支えられている

と言われますが、私もそう思います。

ただ、当たり前の話ですが、現在では病状によって標準治療が定められていますから、病状が分かれば自動的にどの治療法を使うかが決まります。

残念なことに、治療法の判定に患者さんの希望が反映されていないことが多いと感じます。医者が少し考えて患者さんと話し合えば分かるはずなのに、時間がない、あるいは、その必要性を感じていないのかも知れません。

普通、医者というものは治療を希望しない患者というのは想定してませんから、患者さんが希望していなくても必ず何らかの治療、薬治療や手術治療を行います。それが医療機関の収入になり、結果として儲かるわけです。それが悪いと言うつもりはありません。

でも一方で、患者さんのために時間を取って考えたり話し合って、ムダな治療を省いてシンプルにやっている医者は、同じ患者数を診るのに時間がかかるし、場合によっては手術数が減ったりしますから、結局冷や飯を食っていると思います。こちらの方が偉いと思うのです。

ただ私は、そういうシステムではやりたくない。自由診療だと、保険診療では考えられないくらいちゃんと患者さんと話ができるんです。これは、すいているせいでもありますが。

「ムダな手術」というのは、所詮ムダであるというのが、現在の私たちの考え方です。患者さんの体にとってはムダである。でも医者の収入にはなるということです。

だからムダな手術を避ければ当然、収入は減ります。だけれど、ムダな手術をしないことによって当院がつぶれるんじゃないかという心配はしていません。

ムダな手術をしないことによって、そのときの収入は減ります。でも「困ったら大肛にいこう」と患者さんに思ってもらえるかもしれない。

やらなくていいことを「やらなくていい」と言ってくれたから「だからあそこにいこう」って思ってもらえる診療所にしていきたいと思っています。

そんな大肛の姿勢を「あそこよかったよ」と家族やまわりの人に話してくれるかもしれない。結果的には、そういう人たちが大肛に来てくれて将来の大肛を支えてくれるのではないだろうかというふうに思います。

だから、この先も百年間つづけるつもりでどんな方法でやればいいかというと、やっぱり良心をもって必死で患者さんのためを考えて治療にあたる。これが一番近道だと信じて、開業時からそのスタンスを変えずにやっています。

そうすると、大きく売上げを伸ばすことはできないですね。でも、幸いつぶれることはなく、生かされていくことを実感しています。

3人の師匠の教え

私が医者になろうと思うにいたる中でブラックジャックの影響は大きかったです。ブラックジャックの心の師匠「本間丈太郎」のセリフに私や、みのり先生の心に深く残ったことばがあります。

「われわれができることは手術をするところまでだ。医者が患者を治してあげるなんて、おこがましいとは思わないかね、ブラックジャックくん。」

また、外科の創始者であるフランスの医師アンブロワーズ・パレも、以下のようなことばを残しています。

「私は手術をしました。神がこれを癒やしました。」(我包帯す、神、癒し賜う)

最後に私たちを直接指導してくださったメンター(師匠)の強烈な言葉があります。

「オレらは日々、患者を“傷持ち”にしている。だから死ぬまで付き合う覚悟でなければならない。」

お三方とも「医者のあるべきスタンス」として私たちに大きな影響を与えた言葉です。

結局、わたしたちは患者さんを傷つけるところまでしかできません。そこから先は、患者さんが治ってくれなかったら私たちの仕事はあり得ないと思っています。

現代は一見、医療技術が進んでいるようにみえます。治していく方法も、コントロールできるかのごとく錯覚されている世の中です。でもやっぱり究極のところ、人間の体はよくわかりません。だから、やはり「我包帯す、神、癒し賜う」だと思います。

経験を積めば積むほど謙虚にならざるを得なくなる理由です。私だけで治すのではない、患者さんだけの責任でもない。おなじ船に乗って、一緒に目的地へ向かっていきたいと思っています。

大肛が「自由診療」である理由

私は、社会保険中央総合病院というところで研修をしました。「保険診療が正義だ」というスタンスの施設で勉強しました。だから当初は「自由診療なんてエセ医者だ」ぐらいに思っていました。でも自分が継いだ施設は自由診療でした。

現場に飛び込むと毎日の治療で手一杯で保険診療に変えていくヒマなどありませんでした。それでも、いつかは保険診療にしたいと思っていました。

最初のころは、そう考えていました。でも、だんだんやっていくうちに考えが変わっていきました。私の手術を高いお金を支払って受けてくださる患者さんが、100人になり、200人になりと増えてくるわけです。

保険診療のようなペースで急いで手術して「はい終わり」「はい終わり」とはできなくなりました。高い手術代をいただいているから、これもやっておきたい、あれもやっておきたいと治療技術を高める工夫を重ねていきました。そうやって工夫しながらやっていくと手術はどんどん妥協できないものになっていきました。

妥協のない手術が当たり前になったある日、保険診療にして妥協できるのかと自問しました。もはや、できないところに来ていました。じゃあ、今やっている肛門科に特化した総合的な医療を保険診療でできるのか? それは、物理的にできません。そうやって現場で臨床に関わっていく時間が長くなっていく中で、保険診療についての問題もおぼろげながら見えてくるようにもなりました。

保険診療では患者さんの話にじっくり付き合ったりはしません。「次の患者さんが待っています」で済ませ、1日に10回手術していますというのが当たり前です。

私たちは、これが当たり前には思えなくなっていきました。それで「自由診療も悪くないなぁ」から、「自由診療だからここまでこれたのかなぁ」って思うようになりました。

この15年間で心持ちが大きく変わりました。私たちの技術や医療に対して治療費を払っていただける。それを感じることで、私たちも「やろう」とがんばれますし目一杯の濃縮されたサービスを提供したいと努力することができます。

保険診療ではここまでは無理だよねということを提供するようになります。

自由診療って、ただ保険診療の高い版ではありません。高い技術だけなら、保険診療でも達成できます。でも「高い技術」と「偏らない姿勢」をもってそれに見合ったものを患者さんに与えるられるかというと、保険診療ではそれだけの時間は与えられていないと思います。患者さんが山ほど来るからです。

与えるためには時間が必要になります。患者さんとのコミュニケーションのための時間です。保険診療でも「高い技術」と「偏らない心」を持つ先生は存在します。だけど、患者さんと十分なコミュニケーションが取れているかというと疑問が残ります。

そういう所では、朝から夕方6時までぶっ通しで診療に当たっています。でも、患者さん一人に与えられる時間は『たったの2分』だったりします。

混むと実現できないことがあるのです。売れすぎるといけない側面があるのです。富を追うと失うものが必ずあると私は思います。

私たちは保険診療では提供できないものを提供していると信じています。それは手術だけの話ではありません。いろんな要素が複合した総合力だと思っています。

医療は『総合力』です。技術、偏らない診療姿勢、そして何よりも、自分がどうしたいではなくて患者さんがどうなれば一番幸せになれるかを最優先に考える医療を私たちは目指しています。


心が正しければ、うまくなる。

いつも「自分に足りていないことに気づく力」を養う努力を重ねています。
「何が足らんのだろう」という問いをつねに持ちつづけています。
これは「素直な正しい心」がないとできません。

状況は、いつも変化しています。
その変化が、わからない人は変われません。
知ってると思ったら終わりだと思っています。

情報にフタをしているのは医者自身。医者がブロックになっています。
そのパラドックスからどうやって出るか?

それは「オレは知らない」という謙虚な気持ち。
そんな「素の自分」で現場に挑む。

患者さんの愁訴から離れてしまうと、すべてを失うと思っています。

患者さんとの「ムダ話」、これが大切。

そういうスタンスで求めていく中で得られる「正しい色メガネ」を
通すことで真実が見えてくる気がします。

そのために必要なのは、一見むだに見えるムダ話。
これからも患者さんと一緒に歩んでいきたいと思っています。

佐々木いわお

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