私たちの想い

痔疾患=良性疾患は現代医学の「穴」

一度も外科の研修を受けたことがない私たちは、一般的には「基礎がない医者」と言うことになるのでしょう。確かに外科の主な対象疾患であるガン診療に関しては私たちはそのように言われるのも無理ありません。でも、肛門科だけに携わり痔疾患だけを相手にしてきた私たちから見ると、良性疾患である痔の扱い方を知らない肛門科医が多いと感じます。良性疾患とは痔などの生命に危険のない病気のことです。肛門科医のほとんどは外科出身なのでガン診療の考え方との切り替えが難しい、良性疾患は苦手なのではないでしょうか。

ガン診療と痔治療では基本が異なる

無症状の痔を見つけて手術や注射が必要などと説明するのはガン診療の悪影響です。痔治療では「困っていないなら手術や注射はしない」が基本。なぜなら手術・注射の後遺症で生活が破綻することだってあるからです。初期だから治療が簡単と考えるのもガン診療の悪影響で危険。無症状の痔を手術してしまったばかりに不幸になる人を一人でも減らしたい。当院が手術を避ける技術を大切にするようになった理由のひとつです。2017年に行った根治手術の件数は62件、手術件数が少ないことを誇りに思っている、ちょっと変わった肛門科です。

初診患者数 1090 (2017年)
年間根治手術数 62
手術率 およそ 5.6 %
患者さんの気持ちに寄り添い、治療を提案します。

目標はおしりに悩まされる生活から解放されること

痔は肛門の病気ですが、悪化の要因は様々。本当に肛門が悪くなった人、排便が悪いから悪化させている人、これらに加えて心理的な原因で症状を悪化させている人・・人によって治療方針は異なりますが、患者さんそれぞれの悩みの本質に近づく手助けをしたいと考えています。また患者さんによってゴールも異なります。「痔と付き合っているけれど、悩まなくても良い生活」も立派な解決のカタチだと考えます。当院に来た患者さんには最終的に笑顔になってほしい、おしりに悩まない生活ができるようになってほしいと思っています。

「痔じゃない私」を目標に

当院に来た患者さんに笑顔になってほしい、そしていつか「肛門に困らない=痔じゃない私」になって当院を卒業してほしいと思っています。

百年の歴史

百年の歴史

百年の歴史を重ねることができた
その理由とは

当院は明治45年の創立から百年以上、一貫してガンの治療に手を出さず、専門領域である痔疾患のみを扱ってきました。当院が百年続いた理由のひとつとして、専門性を見失わなかったことが挙げられると思います。元来痔の悩みは人に言いにくく、良い診療をしてもクチコミは広がりにくかったのです。インターネットや匿名のSNSが発達したのはこの10年位のことで、それ以前はリアルのクチコミしか肛門科の評判を広げる方法はありませんでした。当院は得意領域にこだわって良い診療を行い、患者さんに喜んでもらう、そんな地道な積み重ねを百年間続けてきました。

次の百年のために必要なこと
本質を押さえた肛門科診療

肛門科で扱う病気は良性疾患で生命に危険はなく、治療するかどうかは患者さんの自由です。つまり、肛門診療の本質は患者さんの悩みの改善で、痔の治療はその手段にすぎません。私たちは、悩みと病気の因果関係を正しく把握する能力をいつも磨き、最も大切にしています。病気に目を奪われて患者さんの悩みを忘れる診療は本末転倒です。本質を知る肛門科医は、次々と生まれる新技術を盲信せず、過剰に適用せず、最適に利用するはず。私たちもそうありたいと思っています。

百年の歴史

明治45年(1912年)

肛門科の専門病院「大阪肛門病院」として大阪市天満橋交差点の西南角で開院。 初代院長に佐々木惟朝が就任。開業前にドイツのミュンヘン大学に留学し、ドクトル称号を取得していました。 洋行帰りの医者として評判になったようです。特に、第一回直腸肛門病学会(現・日本大腸肛門病学会)副会長、第二回同会会長を務めるなど、 日本の大腸肛門科草創期において重要な役割を果たしました。

大正14年

天満橋の交差点より100m西へ新築移転。当時としてはモダンな鉄筋3階建ての白亜のビルで、天満橋界隈の名物となったそうです。

昭和5年

佐々木惟朝の引退を受け、第2代院長に佐々木万次郎が就任。昭和初期の世界不況、第二次世界大戦、さらに戦後の困難な時代を通じて院長としての責任を果たし、大阪肛門病院の基礎を築きました。数回にわたり直腸肛門病学会(現・日本大腸肛門病学会)の会長を務め、診療のみならず学問的にも業績を残しました。

昭和44年

佐々木万次郎の逝去により、第3代院長に佐々木茂雄が就任。肛門の専門医として活躍、最新の知識と技術でもって治療にあたり、全国から患者さんが訪れるようになりました。現在も続く「近畿肛門疾患懇談会」の発起人の一人であり、 同会の「議事録を作らない」という方針の提唱者です。(同会は肛門科医が集まる会としては日本で最も活発な議論が交わされる会でもあります。)大学所属の大腸専門医が中心となりつつあった学会の中で、肛門科医の地位を維持する基礎を作るべく努力しました。

昭和48年

患者数の増加により先代が残した建物では手狭になったため、病院を新築し現在の建物へ移転。

平成5年

佐々木茂雄が急逝。佐々木茂雄の片腕であり、親友であった田井陽が院長に就任。従来の治療に加え、痛みに対するケアに力を注ぎました。 現在も続く、当院の手術は痛くないという評判はこの頃に確立されたものです。

平成10年

田井陽が体調不良による退職を余儀なくされ、第4代院長に佐々木巌が就任。保険診療の肛門科としては最も洗練されたシステムの中で3年間勤務した経験から、最新の知識と技術のみならず、 自由診療の最大のメリットである「コミュニケーションの充実と納得診療」を目標に、診療の質の向上を目指しています。また、女医の佐々木みのりによる女性肛門科外来を開設。女医による女性専門外来は日本初で、この頃より女性の患者さんが急増しました。

平成19年10月

組織変更し「大阪肛門科診療所」に名称を変更。

平成24年(2012年)

創立100周年を迎えました。

現在に至る

大阪肛門科診療所